JAPAN珍聞

ジャパンちんぶん

ある銅像について

無職者の私は暇を持て余して、毎日のようにいろいろな街を彷徨するのを日課としているのですが、毎日街を彷徨していると有名無名にかかわらず、実に様々な銅像に出くわします。

 

先日も浅草を彷徨しているおりに浅草寺境内でこの様な銅像を見かけました。

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「このお婆ちゃん誰なの?」と、お婆ちゃんの銅像が気になって仕様がなくなった私は早速、銅像の説明が書かれているパネルに目をやりました。

 

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パネルにはこのように書かれておりました。

 

 

瓜生岩子女史の銅像

 

岩子は通称。

正しくは「岩」という。

文政十二年(1829)二月十五日、岩代耶麻(いわしろやよ)郡、現在の福島県耶麻群、熱塩(あつしお)村渡辺家に生まれたが、九歳の時、父を失い、母は岩を連れて生家へ帰った。そのため、岩は母方の姓瓜生氏を称した。

十四歳の時、若松(現福島県会津若松市)の叔母に預けられ、その夫で会津若松藩侍医を勤める山内春瓏(しゅんろう)の薫陶を受け、堕胎間引きの防止に関心を持つに至る。十七歳で佐瀬茂助を婿に迎え、若松で呉服屋を営み、一男三女を生んだが、早くに夫を亡くした。明治元年会津戦争で孤児となった幼童の教育に尽力したほか、堕胎等、当時のさまざまな悪習を正し、明治二十二年貧民孤児救済のため福島救済所を設立するなど、社会事業の推進に努めた。

 

明治三十年四月十九日、福島で没す。享年六十九。生涯を慈善事業に捧げた岩の善行を賞揚し、同三十四年四月、篤志家によって、浅草寺境内にこの銅像が造立された。台石正面には、下田子女史の撰文(せんぶん)を刻む。

 

 


なにやら大変立派な方です。

 

NHK瓜生岩子女史の一生が連続テレビ小説化されるのも時間の問題かと思います。

私は瓜生岩子女史を、今まで知らずに生きてきた己を恥ずかしく思いました。そして私は瓜生岩子女史を、より多くの人たちに知って頂きたく、当ブログで紹介することにしたのです。

 

決してブログのネタに困って適当な記事を挙げた訳ではありません。


しかし、なぜ会津の方が浅草で銅像になったのかはパネルを読む限り一切説明が書いてありません。

瓜生岩子女史と浅草、一体どういう所縁があるのか?

 

ちょっと調べてみました。

 

Wikipediaによりますと瓜生岩子女史の経歴の箇所で、日清戦争が始まると岩は東京下谷に移りと書かれていました。

 

 

なんか東京に来ていろいろやってたみたいですね。

 

それで瓜生岩子女史の死から5年後、浅草に銅像が建立されるに至ったのです。

 

 


おわり。